代表挨拶
エフィラグループ株式会社
代表取締役
畠山 大志郎
1983年生まれ。神奈川県横浜市出身
2007年、慶應義塾大学経済学部卒業後、経営コンサルティング会社に入社。中小企業の経営支援に従事。
2011年1月、アンダンテ株式会社(現エフィラグループ株式会社)設立。
- ・全国介護事業者連盟 障害福祉事業部会役員
・全国介護事業者連盟 関東支部幹事
・全国介護事業者連盟 障害福祉部会 神奈川県支部副支部長
エフィラの原点
― 創業の想い ―
自分という人間
私は幼少期から、これといってやりたいことのない人間でした。特別な夢を抱くこともなく、何かに打ち込んだ経験もありません。人の先頭に立つタイプでもなく、リーダーのような役割を任された記憶も、ほとんどありませんでした。今でこそ会社の代表を務めていますが、当時はなんとなく日々を過ごすうちに就職活動の時期を迎えた、そんな学生でした。
ただ、自分の中には、今につながる三つの特徴がありました。
一つは、揃えることへの興味。
物事を一つひとつ整え、きれいに揃った状態にすることが好きでした。揃っていないと、どうにも気持ちが悪く、その隙間を埋めたくなる。そんな感覚が昔からありました。
二つ目は、「なぜ」を問い続ける性質。
「なぜ生きるのか」「人は何のために働くのか」。
理由や本質を考えずにはいられませんでした。中学生の頃から自己啓発書を読み、「人としてどうあるべきか」を考えるようになり、その関心はやがて、「会社とは何のために存在するのか」という問いへと向かい、就職活動では「御社は何のために存在しているのですか」と尋ねるような学生でした。
そうした中で、一つの人生観も育まれます。
「自分の命をどう使うかは、自分で決められる。」
この考え方は、その後の私自身にも、この会社にも、大きな影響を与えることになります。
三つ目は、組織になじめなかったこと。
幼い頃から習い事は長続きせず、部活動も最後までやり通せたことがなく、アルバイトも数日で辞めてしまう。怠けたいわけではありません。ただ、多くの人と足並みを揃えて行動することが、どうしても苦手でした。やりたいことがないにもかかわらず、人に合わせることもできない。だからこそ、就職して定年まで勤め上げることは、自分には不可能なことのように感じていました。もちろん、それは組織で働くことを否定していたわけではありません。組織に所属したら、その組織に順応していくという、多くの人が当たり前にできることが、私にはどうしてもできませんでした。
自分で責任を取る生き方
では、自分のような既存の枠組みになじめない人間は、どう生きていけばいいのか。
たどり着いた答えが、自ら事業を営むことでした。組織に合わせられない以上、自分で責任を取れる生き方をするしかない。それは夢を叶えるための挑戦というより、自分が生きていくための選択だったのだと思います。
何をやるかは決まっていませんでしたが、いずれ独立するための修行として、全国の中小企業を支援する会社に新卒で入社しました。
「会社は社会の公器であり、事業は社会の課題を解決するためにある」という私の考えと、その会社の理念が重なっていたこともその会社を選んだ一つの理由です。
エフィラの原点
最初に配属されたのは北海道でした。当時の私は、会社は大きくなれば全国へ広がっていくものだと思っていました。しかし、そこで見たのは、まったく違う会社の姿でした。全国展開を目指すのではなく、一つの地域に深く根を張り、その地域に必要とされながら成長している会社が数多くありました。そして、その中には、一つの事業に絞ることなく、地域でいくつもの事業を営み、人々の暮らしを支えている会社もありました。
それを見たとき、これだ、と思いました。それまで漠然と考えていた会社の理想像が、一つにつながりました。
一つの事業を磨くのでも、全国へ広げるのでもない。一つの地域で、役に立つ事業をいくつも揃えていく。揃えることが好きな私にとって、それこそが自分の進むべき道だと思えたのです。
そして、その事業は、地域の課題を解決するものでありたい。私は、「会社は社会の公器であり、事業は社会の課題を解決するためにある」という考えのもと、一つの地域に必要な事業を一つずつ増やし、地域課題を解決できる会社をつくろうと決めました。
その最初の一歩が介護事業です。これからますます深刻になる高齢社会に対し、まずは介護事業を通じて貢献したいと考え、2011年に創業しました。
今思うこと ― 命の使い道 ―
こうして始まった会社は、介護事業からスタートし、障害福祉、保育、医療、そして現在ではバスケットボールに至るまで、神奈川県の地域課題の解決につながる事業を一つひとつ増やしてきました。
そして、それらのサービスを神奈川県内のどこに住んでいても受けられるよう、社会インフラのように行き届かせたいという思いで広げてきました。その歩みの中で、この考え方に共感してくれる仲間も、少しずつ増えていきました。
この会社は、もともとやりたいことなどなかった私が、自分なりの生き方を探した先で始めた会社です。しかし、会社を続ける中で、見える景色は大きく変わっていきました。
仲間が増え、利用していただくお客様が増え、一つひとつの事業が地域に必要とされるようになっていきました。その姿を見たとき、やりたいことのなかった私にも、本当の命の使い道が見えてきました。
地域社会にも、お客さまにも、社員にも貢献し、その価値が、自分のいなくなった後も永続していく。そうしたものを集まったみんなで作り後世に残したい。今は、それが私にとって最も実現したいことだと感じるようになりました。
自分の命をどう使うかは、自分で決められる。
こういうものを残す人生こそ、自分が生きている価値を最も感じられる生き方だと、今はそう思っています。


